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生きている今、救われる ―― 苦患の闇の向こうへ

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イメージ画像「 季節の風景 」より   癩は天刑である。 加わる苔の一つ一つに、嗚咽し慟哭しあるひは呻吟(しんぎん)しながら、私は苦患(くげん)の闇をかき捜つて一縷(いちる)の光を渇き求めた。 -深海に生きる魚族のやうに、自らが燃えなければ何處(どこ)にも光はない-さう感じ得たのは病がすでに膏肓(こうこう)に入ってからであった。 齢三十を超えて短歌を學び、あらためて己れを見、人を見、山川草木を見るに及んで、己が棲む大地の如何に美しく、また厳しいかを身をもって感じ、積年の苦澁をその一首一首に放射して時には流涕(りゅうてい)し時には抃舞(べんぶ)しながら、肉身に生きる己れを祝福した。 人の世を脱れて人の世を知り、骨肉と離れて愛を信じ、明を失って内にひらく青山白雲(せいざんはくうん)をも見た。 癩はまた天啓でもあった。(歌集「白描」序文 明石海人)       1  肉塊 ―― 苦患の闇 1       地の底から 拷問のような日常を記録すべき何ものもない。   男はその中で血を吐き、呻き、息絶える。   そんな惨めな有り様を見つめる善鬼神を装った者がいて、そいつが男の息の絶え方を、いつもどこからか冷笑し、憤怒する。   男の惰弱さを突き刺す破壊力が腑甲斐ないから、その善鬼神のサーベイランスも御座なりになってしまう。   だから男は、壊れゆく日々に最適適応できていない。   適応・防衛戦略を再構築できていないのだ。   すべては、あの日から開かれた。   2000年5月11日。   曇天の妙義山を覆う靄の広がりが、男が運転するコンパクトカーを一瞬にして呑み尽くした。   ガードレールクラッシュの事故で、コンパクトカーが壊滅したのだ。   男はこの事故にて頚髄(けいずい)を損傷し、その結果、不全なる四肢麻痺によって、爾来、地の底の住人となる。   地の底の住人となった男の中に、世界が見えなくなった。   世界の中に男の影が見えなくなった。   世界の中に男を拾えなくなった。   自分の影を求める男を拾えなくなったのだ。   いつの日か、噴き上げていく絶え絶えの熱量の残滓(ざんし)が砕かれていく。