生きている今、救われる ―― 苦患の闇の向こうへ
イメージ画像「季節の風景」より |
癩は天刑である。
加わる苔の一つ一つに、嗚咽し慟哭しあるひは呻吟(しんぎん)しながら、私は苦患(くげん)の闇をかき捜つて一縷(いちる)の光を渇き求めた。
-深海に生きる魚族のやうに、自らが燃えなければ何處(どこ)にも光はない-さう感じ得たのは病がすでに膏肓(こうこう)に入ってからであった。
齢三十を超えて短歌を學び、あらためて己れを見、人を見、山川草木を見るに及んで、己が棲む大地の如何に美しく、また厳しいかを身をもって感じ、積年の苦澁をその一首一首に放射して時には流涕(りゅうてい)し時には抃舞(べんぶ)しながら、肉身に生きる己れを祝福した。
人の世を脱れて人の世を知り、骨肉と離れて愛を信じ、明を失って内にひらく青山白雲(せいざんはくうん)をも見た。
癩はまた天啓でもあった。(歌集「白描」序文 明石海人)
1 肉塊 ―― 苦患の闇 1
地の底から 拷問のような日常を記録すべき何ものもない。
男はその中で血を吐き、呻き、息絶える。
そんな惨めな有り様を見つめる善鬼神を装った者がいて、そいつが男の息の絶え方を、いつもどこからか冷笑し、憤怒する。
男の惰弱さを突き刺す破壊力が腑甲斐ないから、その善鬼神のサーベイランスも御座なりになってしまう。
だから男は、壊れゆく日々に最適適応できていない。
適応・防衛戦略を再構築できていないのだ。
すべては、あの日から開かれた。
2000年5月11日。
曇天の妙義山を覆う靄の広がりが、男が運転するコンパクトカーを一瞬にして呑み尽くした。
ガードレールクラッシュの事故で、コンパクトカーが壊滅したのだ。
男はこの事故にて頚髄(けいずい)を損傷し、その結果、不全なる四肢麻痺によって、爾来、地の底の住人となる。
地の底の住人となった男の中に、世界が見えなくなった。
世界の中に男の影が見えなくなった。
世界の中に男を拾えなくなった。
自分の影を求める男を拾えなくなったのだ。
いつの日か、噴き上げていく絶え絶えの熱量の残滓(ざんし)が砕かれていく。
いつの日か、噴き上げてきたものを受け止める被膜の陣立てが崩されていく。
いつの日か、ひたひたと鈍い時間を匍匐(ほふく)していくときの皮膚感覚が剥(は)がされていく。
いつの日か、男の中枢に喰い入って、それなしに触感し得ない熱溜りが存分に喰い千切られていく。
いつの日か、爛れ腐った時間の芯が溶かされていく。
視界が切断された冥暗(めいあん)の深い闇の淵に流されていくのだ。
男の手の中で、脚の中で、征圧できないほどの電流が悲鳴をあげている。
指先を劈(つんざ)いて、腹部を波打ち、意識をぶら下げた肉塊を地の底に引き摺り込んでいく。
男はもうこの騒ぎを止められない。
流されていく稚拙な技術だけが晒されていた。
呻き、壊れていくものの総体が、創られていくものの総体より、いつも少しずつ目立っていって、
そこにいつか屍と出会っても、呻きを刻む僅かな熱量だけが、地の底で千切れかかった時間を係留していく。
手洗いまでのひと足の踏み出しが、もう痙攣の恐怖に遊ばれている。
揺さぶられ、突き抜けられ、内側の電流を無秩序に掻き回され、男は已むなく潜っていく。
疼痛が傷め尽くした残像を貪って、地の底の黒い戦慄の深部に潜っていくのだ。
己が哀咽(あいえつ)が四散し、ひと剥ぎひと剥ぎ言語が端折られ、もう視界が幻影を噛めなくなって、壊死による空洞が流木の痩身を嘗め尽くし、足場を拾えない懦弱(だじゃく)なる漂動が瞬くまに広がった。
地の底に深く澱んだ陰翳だけが、支配されるものの姑息な律動感すら削られて、まだ動いている。
まだぶら下がってる。
未知のゾーンに持っていかれたときの、爆轟(ばくごう)の衝迫(しょうはく)の傍らで馬鹿話が止まらない。
ふんだんに哄笑を撒き散らす、俗世の蜘蛛の糸の舞踏が其処彼処(そこかしこ)に踊っていた。
それが救急車で運ばれた男が見た最初の地獄だった。
深く抉られた頸。
男の頸だ。
宙吊りとなった痩腕と痩脚。
男のものだ。
粒子状に砕いた情報だけが侵入する頭蓋。
これも男のものだ。
もう、男のものはそれだけになった。
得体の知れない、黒々とした異形のラインが内側を席捲して、ほんの僅かな安寧を偸(ぬす)み入れる幕間(まくあい)も引き剥がされて、そいつが男の中枢を突き抜け、鋭角的に突き抜け、間断なく男の復元力を奪い取っていく。
中枢をくり抜かれて朽ちた幹の残骸が呻きを捨てられず、一縷(いちる)の鎮魂を拾えず、溶けかけた粘液状の蜘蛛の糸に吊り下がっていた。
這い蹲(つくば)って、白みはじめた集合住宅の歩廊に壊されかかった肉塊が匍匐する。
なお匍匐する。
それだけが、男の肉塊が手に入れた、なけなしの技倆なのだ。
だから手放せない。
丸腰にするわけにはいかないのだ。
街を這ってきた季節の風が、非武装な肉の鎧を裂き、肉塊が隠し込んだ絶え絶えの自我を裂き、
たっぷりと悪意を垂らして啄(ついば)んでいく。
視界に侵入した薄黒い野鳥の群れが、囲繞されたものの悲鳴を呑み込んだとき、死臭を漏らさない肉塊の突破力がラインを砕けるか。
前線を粉砕できるか。
それだけが、這い蹲って匍匐する肉塊に立ちはだかる厄介なバリアだった。
2 匍匐 ―― 苦患の闇の向こうへ 1
自律神経の中継点であり、重要な通過路。
脊髄である。
脊髄損傷者が被弾する自律神経障害という、一筋縄でいかない決定的なアキレス腱。
病膏肓(やまいこうこう)に入(い)っても安静臥床(がしょう)の時間に入れない。
入ったらすべてを失う。
自律神経の賦活化。
這い蹲って匍匐する肉塊が、この匍匐を捨てたらすべてを失うのだ。
匍匐だけが男の〈生〉の機軸となる。
「どれほど痛かろうと、動きなさい」
整形の医師の一言が、男の匍匐の推進力になった。
匍匐の向こうに待っていたのは、繰り返される転倒事故。
集合住宅の歩廊での2度にわたる転倒では、危うく顔面を痛打し、眼窩周辺骨折を被弾した。
おかげで頸の下部のみならず、顔面も痙攣するに至る。
かくて男の肉塊の総体が痺れ、のべつ幕なしに、男の内側で神経が悲鳴を上げている。
室内歩行での転倒事故に終わりが見えない。
つい先日のこと。
洗面所に入ろうとして躓き、そのまま後方に転倒し、狭い廊下の床に後頭部を打ち付けてしまった。
一瞬、意識を失い、何が起こったのか分からなかった。
叫びをあげたような気がする。
瞬時に男の妻が駆け付け、必死に介抱する。
男の痩躯(そうく)は全く動かない。
妙なことに痛みはなかったが、そこからが難儀だった。
意識が復元しても、駆動力を持ち得ない肉塊を立ち上げることは難しい。
腰のダメージが手酷く、痺(しび)れの圧迫が肉塊を強襲し、万事休す。
今にも壊れ易い右腕が介護ポールに縋り付き、全身を駆動した男の妻の体重に預けて、時間を等分するように、少しずつ少しづつ、歩廊を蹴り上げていく。
生き残されたのは烈しい痺れと慢性的な痙攣。
「2か月間、様子を見てましょう」
熱心な看護師の助言を受け入れたが、幸いに何も起こらなかった。
疼痛が悪さをしなかったことが大いなる救いだった。
痛みこそ男の最強の天敵なのだ。
痛みと言えば、どうしても拭えない記憶のヒステリシス。
顔を埋めて摂る朝飯の時のこと。
零した味噌汁が男の陰茎を直撃した。
「痛い!」
思わず叫んだ。
叫喚と言った方がいい。
陰茎の包皮が剥がれる火傷だった。
右脚の腿の裏側に瘢痕(はんこん)が盛り上がった熱傷。
又候(またぞろ)、病膏肓に入ってしまった。
動けない。
電動ベッドを駆動できない。
これで男の匍匐も息絶えた。
男が拠って立つ生活基盤の崩壊感覚。
一縷の光が閉ざされ、苦患の闇に押し込められてしまった。
焼け火箸を当てられたような激痛を引き摺って匍匐する時間の長さに、人は如何に怺(こら)えるのか。
自業自得 ―― 疾(と)うに男は分かっている。
どう転んでも拭えない記憶のヒステリシス。
それでもなお入れない安静臥床という極上の逸楽。
入ったらすべてを失うのだ。
匍匐 ―― それだけが男の生の機軸だった。
筋力低下こそ憂惧せよ。
絶対命題である。
安静臥床との終わりの見えない闘い。
有形無形の一切の駆け引きは無化されてしまった。
絶対命題を死守せよ。
今のみを生きる。
今のみを苦しむ。
絶対実存の世界で呼吸を繋ぐ。
「それがどうした」
死の際で青年司祭が放った究極のメッセージである。
ロベール・ブレッソン監督の映像宇宙の話だが、抑鬱状態を噛み切り、解き放ったメッセージは男を少しばかり鼓舞する。
「絶望とは死に至る病だが、絶望の苦悩は死ぬことができないという、まさにその点に存するのである」
キルケゴールは、そう言い切った。
死という最後の希望さえも遂げられないほど希望がすべて失われている状態を「絶望」と呼ぶなら、男の心的状況は「絶望」ではない。
あまりにおこがましいのだ。
「もし神がいないとすれば、その時は僕が神なのだ」
人神論を説いたキリーロフの思索に減(め)り込む若さを失ったが、今のみを生き、今のみを苦しむ絶対実存の世界で呼吸を繋ぐ。
男にはもう、この方略しかなくなった。
3 修羅の回廊 ―― 苦患の闇 2
痛みの向うに、もっと苛酷な痛みがあった。
そいつが、閉じ込めても突き上げてくる記憶を引き連れて、声を荒げるものを制圧するような爆轟を噴き上げて、肉塊を襲ってきた。
肉塊が隠し込んだ一切の有機性を襲ってきた。
肉塊が隠し込んだ絶え絶えの自我は濁った赤を噴き上げて、千切られた有機性が拡散し、虚空に広がる時間の無秩序に鷲掴みにされ、もう駆動できないブラックゾーンの最深部に放り込まれていく。
噴き上げても止まらない肉塊の中枢は、苛酷の前の緩やかな痛みの時間に待機したのだ。
そこに今、晒されて、吐き出された残酷が記号となって、時間の中で生気を喪った醜怪な赤が、万遍なく囲繞された風景をだらしなく染め抜いてゆく。
そこには、それ以外に有り様がない仕方で、肉塊に張り付くくすんだ中枢だけが震えていた。
ほんの僅かな時間の隙間で手に入れた快楽。
そこにもう、次の暴力が追いついてきた。
いつも、あっという間なのだ。
腕と言わず、肩と言わず、頸と言わず、悲鳴を喰いながら痛めつけ、祈りを潰しながら痛めつけ、終りなきものの修羅を呆気なく突き抜けて、いつでも長調の気分に乗って確信的に甚振(いたぶ)るのだ。
そこにはもう、安楽死という極上の担保すら潰されていて、これ以上潰されるものがない前線の俎上を燥(はしゃ)いでいる。
回廊を抉(こ)じ開ける一切の相対化の技術を蹴散らして、崩されゆく時間の甚振りの中で、自壊した律動の狂騒を突きあげて、完結できないゲームの無秩序を燥でいる。
ガードレールクラッシュの向うに呼吸を繋げない肉塊の骸がなかった。
肉塊の骸の代わりに置き去りにされた〈生〉の残骸が捨てられていた。
〈生〉の向うにも、気の遠くなる〈生〉の残骸が稜線を伸ばしていたのだ。
置き去りにされた〈生〉は殆ど肉塊の骸(むくろ)と地続きだった。
湿潤性が弾かれた〈生〉のリアリズム。
死体の代わりに拾ったのだ。
観念に寄り添えない〈死〉のリアリズム。
〈生〉の向うに見え隠れするのだ。
憤怒が、憎悪が、恐怖が溶かされないのだ。
頑ななまでに溶かされないのだ。
徘徊する自我の背後から冷たい幽気が不埒なラインをつくって、男の〈生〉の残骸を囲繞する腐臭と和合した。
捕捉された肉塊は、もう地底にしか棲めなくなった。
走らされ、走らされ、へとへとになるまで走らされ、もう走る熱量のひと滴も枯れ尽きて、ブチンという感覚でゲームは閉じていた
夢魔の世界だ。
闇から闇への修羅の回廊だ。
夜の旅の果ての疲弊の向こうにカーニバルの狂騒がひらかれる。
闇から闇への修羅の回廊が繋がったのだ。
内部配線が途切れた神経網が、共食いの法則的な掘削力に削られて、復元に届かない壊死の際にまで削られて、削られ果てた無秩序の凄惨が男の日常だった。
痙攣の一突き、二突き、三突き。
意志を粉々にし、炙り出された悲鳴が鈍重な空気に潰されて、意志に集合する分子を解体してしまった。
もう悲鳴すらあげられなくなっていた。
一番大切なものと出会うために、一番大嫌いなものに飛び乗った。
その日に限って、男の一番大嫌いなものは、恐るべき有機性と親和力を持つ生きものになった。
生きものは初めから男を翻弄し、大切なものに至る蛇行したラインの中で、行きつ戻りつして、存分にゲーム気分に狂酔していた。
霧深き山々に誘われて、そいつは放埒なダッチロールを制動できず、野放図な酩酊を撒き散らしながら自爆を遂げた。
そいつは自らを壊し、男を壊し、男の時間を壊したのだ。
一番大切なものを、一番大嫌いなものを利用してまで手に入れようとした、その自堕落な近代感覚。
そいつは、そういう狡猾さを粉砕したかったのか。
自爆によって閉じた、お手軽な快楽弄(いじ)りのゲームが吹き飛んで、骸のほんの手前まで近づいた肉塊が晒された。
そこに必死に張りつくのは、千切れかかった男の自我だ。
そいつが遣る瀬ない鈍重感を暴れるように吐き下し、薄明の地底を這っていた。
そのくねくねした匍匐は自爆への行程をなぞったか。
地獄への行程をなぞったか。
逃走だけが救いだった。
意識がそこに還るのを削ってしまうには、催眠の世界に肉塊を放り投げることだった。
懦弱さを見えなくするためでもあった。
深まっていくだけの冥闇からの逃走でもあった。
意識を少し弄(まさぐ)れば、弄った分だけ自由になる辺りに呼吸を繋いでいた。
意識が少し眠れば、眠った分だけ自由になる辺りに呼吸を繋いでいた。
それでも意識を弄れない。
それでも意識が鬼胎を抱く。
弄っても還っていくのだ。
鬼胎を弾いても還っていくのだ。
還っていくのは決まって冥闇の世界だ。
己という捩(ね)じれた現象の非日常の日常性。
いつもそいつが男の意識を呑み込んでいく。
いつもそいつが男の意識を解放系に帰還させない。
闇の記憶が存分に張りついていて、男の意識は宙吊りになる。
いつもそこに立ち竦むのだ。
鎌鼬(かまいたち)に突き抜かれて蹲ってしまうのだ。
修羅の回廊の広がりだけが、いつも男を射抜いている。
4 余白 ―― 苦患の闇の向こうへ 2
電動ベッドに潜り込んでも、いつものように寝付けない。
眠剤に耐性ができてしまったからお手上げだ。
「覚悟を決めるとコーヒーを入れた。一方通行の家の前を車が通っていく。そのあとは静かになった。夜明けを待つなどすこしも恐ろしくはないはずだ。だが困ったことに気持ちはそちらへ傾かない。ここら辺りに不眠症の罠がある。彼もまた永遠の夜明けを待つ者の一人であろう。しかし平静に待てないのだ」
「氷河が来るまでに」の一節は、男の概日リズムの崩壊と軌を一にする 。
不眠と軽鬱に苛まれた一家の主、「ダダ」への家族の理解は信じ難いほど深かった。
「ダダ」はこんな生活を何年間も送ってきて、結局、深酒に頼る。
しかし酒が過ぎると却って覚醒し、より強い薬を服用せざるを得ないのだ。
薬も深酒も止められない「ダダ」は、自らを「壊れかけた器」と捉え、そこからの脱出を彼なりに模索する。
「ダダ」は充分に苦しんできたし、これからも苦しむに違いない。
「ダダ」は「壊れた器」となることを拒み、しばしば断薬を試みる。
それを医師に相談すると、一蹴された挙句、「後はせいぜい、2、30年の命、薬を上手に使って、楽しく仕事をなさったらいかがですか」などと返されて、衝撃を受ける。
「ダダ」の衝撃は、男の衝撃でもあった。
そうなのだ。
後はせいぜい、2、30年の命。
男の場合、数年かも知れぬ。
眠剤を上手に服用すればいいだけのこと。
眠剤に耐性ができてしまっても、騙し騙し使えばいいだけのことなのだ。
「不眠症の罠」に捕捉されても、それ以外の方略がない。
だから毎日、恐怖突入の覚悟が求められる。
不眠の地獄。
それは鬱への恐怖でもある。
幸いなことに、男は鬱の地獄の虜囚ではない。
抗鬱剤の恩恵に与っているが、未だ虜囚と切れている。
慈恵会医科大学の近藤一博教授の研究グループによって、脳のストレスを亢進させる鬱病のウイルスの遺伝子・SITH−1遺伝子が発見されたことで、「心の病ではない」事実が検証された科学的知見を認知せねばならない。
多くのメディアのツールを利用して、「…うつ」などと勝手に発信してきた精神科医・文化人の猛省が求められる所以である。
大体、鬱などと言ったら、鬱病の罹患者に失礼なのだ。
これは、中学時代に自殺未遂を起こした親友の自殺既遂を止められなかった、男自身の痛烈な自己批判。
死の数日前、件の親友は男に会いに来た。
死神に取り憑かれたような親友の表情から生気が全く拾えず、活きる者の精彩が削ぎ落とされていた。
あれが鬱病罹患者の生気の失せた形相だったのか。
心の病と決めつけた浅学菲才の男の無知が、一人の若者を自死に追い込んでしまった。
男の心的外傷だけが生き残された。
覚悟の駆け落ちに頓挫して、女の叫びを救えなかった男の胆力の致命的欠如。
これが男の最強の心的外傷になった。
救いようのない男のエゴの暴走が止まる気配はどこにも見えなかった。
自虐のナルシズムか。
この年になって自分を虐めている。
虐め抜いている。
虐めることを止められないでいる。
悪夢ばかり見る。
目が覚めて、ほとほと嫌になる。
救いようの過去は、もう戻ってこない。
それでも虐めることを止められないのだ。
恥ずべきことに、劣等感の裏返しで妻に暴言を吐く。
心の中で何度も謝罪し、泣いている。
男の暴走に終わりが見えない。
夢で良かったと幾度思ったことか。
その愚昧さに反吐が出る。
救いようの過去は、もう戻ってこないのだ。
自虐のナルシズムなのか。
いい加減、散文の流れを止めよう。
男の甘えの裏返しだからだ。
「壊れた器」の冥闇(めいあん)の時間を引き摺る「ダダ」の壮絶な内的葛藤と切れ、不眠地獄などという耳触りのいい言辞への逃亡。
男の甘えのプロトタイプが、この辺りにある。
それでも呼吸を繋ぐ。
繋いでいかねば、拠って立つ総体が根柢から崩れ堕ちる。
妻の排便の援助なしに成り立たない男の総体が崩れ堕ちる。
だから縋る。
死にもの狂いで縋る。
「平生業成」(へいぜいごうじょう)という浄土真宗の有名な宗教用語がある。
真宗中興の祖・蓮如の御文(おふみ/門徒に送った書簡集)などを出典にするこの思想のコアが、この一語に凝縮されている。
枯渇した男の奥底に浸み込んできて、心做(な)しか、寸分の潤いを与えた親鸞の究極の思想である。
「生きている今、救われる」
来世ではなく、生きている今、救われねばならない。
現生に己が〈生〉を完成させねばならない。
「去死十分」(死の普遍性)を迎え入る覚悟で、苦吟を負う己が〈生〉を引き受け、何ものにも代えがたい〈生〉を自己完結させていく。
このような理念系で武装する。
未だ虜囚と切れている男には、「余白」こそが生命線だった。
不眠地獄への恐怖突入に疲弊し切ったなら、親鸞の思想に慰撫されればいい。
そして「去死十分」を迎え入る。
だから「余白」をつくる。
せいぜい、幾許(いくばく)かの命なのだ。
「ダダ」がそうであったように、男が永遠の夜明けを待つ者の一人であったとしても、男には「余白」がある。
この「余白」で、不眠の地獄と付き合えばいい。
「去死十分」を迎え入れればいいのだ。
5 闇の粛清 ―― 苦患の闇 3
血流が切れていた。
両手が凍っていた。
呼吸が荒れて細胞が騒いでいる。
その一つ一つの細胞に電流が何層にも伸し掛かってきた。
激甚な疼痛が神経を喰い荒らし、もう男の内側はアナーキズムの城砦になった。
男は死神を待っていた。
地獄の沙汰で怯える者のように、男は死神を待っていた。
神に挑発する者の愚昧すら削られて、男は死神を待っていた。
何ものも寄せ来ることもない。
死神の影すら見えない。
安寧が訪れないのだ。
垂れ下っているだけだった。
流木の重さが垂れ下っているものの重さの全てだった。
無秩序な喧噪の中を燥ぐ神経が男の内側をズタズタにして、闇の奥に見えなくなっていた。
誰がそこに堰(せき)を架けられるか。
法則性のない叛乱にへとへとなのだ。
機能を喰い千切られただけでは済まなかった。
叛乱に怯える弱さをも、たっぷりと棲まわせてしまったのだ。
次の喧噪がひたひたと、もうそこまで這ってきていた。
垂れ下っていただけのものが、予約された哀しさの中でかたかた震えていた。
流木の重さを垂れ下げていたものは、痙攣によってしか流れの中に入れない。
闇の粛清が始まったのだ。
もう別の世界に入っていった。
時間が腐っていた。
風景は表現力を喪っていた。
翼をもぎ取られたもののように、皮膚を剥ぎ取られたもののように、歪んだ母体が歪んだ苦痛を燃やしていた。
燃やしても燃やしても、噴き上がってくるものを燃やしていた。
生きているのか死んでいるのか、掴み切れないような感覚が肉塊の中枢を当てどもなく彷徨っている。
彩を喪った彷徨の錯乱に世界が見えなくなり、事態が見えなくなり、男自身も見えなくなった。
網膜が千切れかけた肉塊に炸裂する疼痛の一撃。
司令塔を持たない中枢神経の一撃。
司令塔を持たされない爛れた自我への一撃。
骸になっていなかった残骸と、今日もまた出会ってしまったのだ。
骸になっていなかった残骸が、今度は彷徨を見えなくしてしまったのだ。
世界が壊れようと、人類が滅びようと、どうでもよかった。
何も生まない群塊が、何も生まない時間を捨てていく。
観念をそこまで堕としたかった。
堕とさせるだけの素質が男にはないのだ。
見えるものを見えなくしてしまう素質が男にはないのだ。
男には明日がない。
朝には夜がない。
夜には朝がない。
朝には朝しかない。
夜には夜しかない。
朝を越え、夜を越え、その日を越えても、また次の朝が攻めてくる。
いくらでも攻めてくる。
怒涛のように攻めてくる。
時間を超える旅は、時間を捨てる旅なのだ。
捨てて、捨てて、捨て尽くして軽くなった熱量だけで、男は時間を越えていく。
その危うさの向うに。男はもう何も見ない。
何も覗かない。
何も望まない。
望むだけの重さを抱え切る腕力が、今の男には、もう何もないのだ。
厄介な悪夢が、厄介な夜の終りに、厄介な城塞となって執拗に弾き返してくる。
弾き返された肉体は身の丈ほどの褐色の巣から這い上がり、悪夢の残像を排泄しにいくのだ。
排泄しても捨て切れない残像は、男をベッドに戻せない。
男は今日も置き去りにされた。
時間の隙間に潜り込めなくなっていた。
男を囲繞する色彩が一つ一つ削られて、呻きを捨てる場所さえなくなっていく。
この厄介な残像を男の旅はまだ引き摺っている。
グワァーンという唸りをあげて、深々と荒んだ黒の覚醒が、この日も闇の奥から引き摺り出されてきた。
夜の果ての旅の終わりに氾濫した汚穢が喉元を突き破って、そいつが河となって細胞を嘗め尽くし、嘗め尽くし、とうとう薄い時間の滓をドロドロに潰していった。
覚醒の不快!
そこもまた闇と地続きだった。
この闇の回廊を尖った群れが飛び交っていて、そいつらが男の頸を、男の腕を、男の腰を、男の自我を呆れるほど無秩序に、愉しげに突き、裂き、「自同律の不快」という現象の根拠を嬲(なぶ)ってきた。
誰かそいつらを止めてくれ。
ちっぽけな秩序を喰い殺すアナーキーな叛乱。
誰かそいつらを止めてくれ。
ちっぽけな秩序を拾えない闇の回廊での孤絶。
宙摺りになった自我がもう元には戻れないのだ。
6 生きている今、救われる ―― 苦患の闇の向こうへ 3
それはあまりに唐突にやってきた。
その夜も不眠の辛さが和らぐことがなかった。
胸の痛みを覚えた。
またか。
そう思って、最初は遣り過ごしていた。
しかし痛みが収まらない。
そのうち激痛が走った。
いつもの胸痛とは違った。
男の妻が傍に来て、備えてまもない家庭用血圧計で測ったら、ゆうに200mmHgを超えていた。
心拍数も高く、胸の圧迫感が止まらない。
心配した妻が救急車を呼ぶと言うので、小声で「やめてくれ」と伝えた。
経験したことがない激痛で、「死ぬかも知れない」と思った。
それならそれでいいとも思った。
入院だけは絶対に嫌だった。
脊損患者が入院すれば、間違いなく寝たきりになる。
寝たきりになればすべてを失う。
匍匐の日常性が破綻する。
「死んでもいい」
本気で思った。
もう潮時だなと括った。
しかし、男の妻が事態を放置するわけがない。
思い直して、男の妻はかかりつけ医に連絡した。
日頃から熱心なかかりつけ医が、心電図持参で救急往診に来てくれた。
すぐにニトロを服用するが全く効かなかった。
狭心症ではないことが判然とする。
男の不安が現実になった。
急性心筋梗塞の疑いが強く、間髪を容れず、かかりつけ医が救急車を呼ぶ。
直ぐに救急隊員がやって来て、かかりつけ医の専門的な説明を受け、多摩北部医療センターに、男は搬送されるに至る。
この時点で、さすがに男は「やめてください」とは言えなかった。
万事休すという思いのみ。
とうに夜半を過ぎていた。
多摩北部医療センターに着くや、検査の結果、急性心筋梗塞と診断され、3時間に及ぶ手術が施行された。
心臓にステント(網目状の筒)を挿入するカテーテル治療である。
冠動脈(心臓に酸素・栄養を供給する終動脈)の血管を広げ、血流を回復させるための治療である。
あとで知ったことだが、発症から12時間以内の勝負であり、これに頓挫すると再び狭窄・閉塞を引き起こすリスクがあるということ。
心筋の細胞が壊死して死に至る心筋梗塞の死亡率は約30%。
男の場合、朝まで胸痛に苦しめられても救急車を呼ばなかったらアウト。
男の妻が救急往診を求め、夜半にかかりつけ医を呼ばなかったら男の人生は終わったということになる。
それで良かったのか。
10日間の入院中、男はそのことを考え続けた。
その答えの選択肢は一つしかなかった。
男の命を救うために夜半に起こされ、全勢力を注いで動いてくれたかかりつけ医への感謝の念に応えること。
そのために10日間のすべてを自己リハビリに傾注し、没頭する。
特別室に設置されているテレビも観なかった。
ひたすら筋トレの時間。
退院すること。
それだけが男の入院生活のすべてだった。
日々のニュースとも無縁だった。
只々、歩行能力を劣化させないため。
歩行能力を維持させねば、寝たきり状態になってしまう。
夜中に手洗いにも行けなくなる。
排泄の度に妻を起こすことになり、尿瓶で尿の処理をしてもらうのだ。
介護の限界を超えるこの非日常の生活は、「反復」→「継続」→「馴致」→「安定」というサイクルによって成る日常性の自壊を約束する。
だから、どんなことがあっても歩行能力を維持させねばならなかった。
男の入院生活とは、日常性の自壊を防衛するための時間だったということだ。
【因みに、救急搬送⇒カテーテル治療⇒入院生活という、急性心血管疾患者に対する素早い対応が可能だったのは、多くの心疾患患者を発症場所から専門施設に収容し、早期に専門的治療を実施できる地域の組織化を担う「東京都CCUネットワーク」(都に組織された機構)が有効に機能したからに他ならない。医療体制を合理的に組織化した東京都の底力に脱帽すること頻りである】
兎(と)にも角にも、10日間の入院生活は血圧計との闘いの日々だった。
毎朝の測定で高血圧が計測され、外来に行く前の担当医にチェックされるから難儀だった。
当初、2週間の入院の予定だったが、リハビリのない土日は無為の時間になってしまう。
だから、土曜日退院の10日間の入院を強く求め、担当医も了解してくれた。
ところが、退院の日が近づいて、170mmHg(上)と90mmHg(下)を超える数値が出たことで、担当医から「もう、しばらく入院するよ」と言われ、男は愕然とした。
不眠こそが原因だった。
脊損によって寝返りを打てないから腰痛が慢性化し、腰を冷やすためにアイスノンを持ってきてもらったりして、一時間もすれば覚醒してしまう始末。
不眠地獄は病院においても延長されてしまったのだ。
必死に寝ようとするが、これもダダのように、「永遠の夜明けを待つ者の一人」と化す。
もう開き直るしかなかった。
そんな時、偶(たま)さか想起した一人の歌人がいる。
苦悩と愛に満ちた37年の生涯を送った明石海人その人である。
教職にあって家庭を持ち、芸術を愛好し、順風満帆な青春期を謳歌していた只中に襲ってきた「癩」という「無間地獄」の責苦。
26歳の時だった。
多くの癩者がそうであったように、絶望の淵に突き落とされ、謂れなき偏見・差別から家族を守るために素性を隠して入った療養生活。
精神錯乱状態に陥り、その惨痛から復元し、短歌に拠り所を見つけた海人は頭髪を失い、顔面も膨れ上がり、その相貌は、まるで死に行く者の苦患の闇の世界の窮愁(きゅうしゅう)の者と化す。
深海に生きる魚族のやうに、自らが燃えなければ何處にも光はない。
この烈しい言辞が男の中枢を射抜いた。
光を失った歌人は気管切開手術で声すらも剥奪(はくだつ)されながら、創作活動を繋ぐのだ。
介護者の重圧は男のそれを超えていた。
発熱の大量発汗での衣類の着替えが数十枚。
代読・代筆の艱難(かんなん)さは想像を絶していた。
呪われたような壮絶な人生の中で、知覚麻痺・失明・気管狭窄という癩者が負うスティグマが紡ぎ出す多くの短歌。
息の緒の冷えゆく夜なりまどろみつつすでに地獄を堕ちゆくひととき
代表歌集「白描」の中の、ルビを不要にする歌である。
残された私ばかりがここにゐてほんとの私はどこにも見えぬ
これも、「白描」の第2部「翳」の中で見つけた、ルビを不要にする歌。
自らが燃え、光を希求する海人が生涯にわたって負ったスティグマを思えば、男の不眠地獄など取るに足らないこと。
自らを「深海の魚族」に譬え、つらつら海人の無念を強烈に感じ入り、意を決して電動ベッドに潜り込み、「永遠の夜明けを待つ者の一人」になった。
思い做(な)しか心が軽くなり、2時間程度思索に耽っていたら、いつの間にか就眠状態に入れた。
僅かな就眠だったが、朝を迎えた時の心身の状態はほぼウエルビーイング。
そして迎えた血圧計の測定。
いい数値ではなかったが、担当医に自らの強い思いを告げ、「土曜日に退院だね」と言われ、それですべて終わることになる。
5か月間に及ぶ脊損の入院生活の絶望的な時間と比べても、今回の辛さは半端ではなかった。
それほどハードだった。
それは寝たきり状態になる恐怖との内的闘争だった。
死んでもいいと括った男を待っていたのは、穏やかだが、一人の男性の確信的な言辞。
「死ぬのはまだ早い」
退院後、当時の本音を漏らした男への、かかりつけ医の一言である。
この言葉は、男に相当の重量感をもたらした。
退院後の往診で、男はかかりつけ医に手紙を渡した。
辛かった入院生活の直後だっただけに、どうしても自分の思いを伝えたかったのである。
「手が不自由なため肉筆が難しく、拙い文章で恐縮ですが、先生に感謝の気持ちを伝える手立てが他にないので、今の自分の心境を率直に書かせていただきます。
私の胸痛は過去に幾度もあり、狭心症を疑ったこともありますが、10分程度の痛みで治まっていたので、さして気にも留めず、放置しておきました。
今年に入って、数十分も続く、息苦しさを伴った胸痛があった時も、激痛が走るレベルに達しなかったため、いつものように我慢してしまいました。『脊損による中枢性疼痛・痺れに比べれば、まだマシ』という情性が、この20年間、私の内側を占有していたことで、採血に対しても消極的な態度を崩せませんでした。
その結果、5月27日未明の救急搬送後の入院という事態を惹起させ、多摩北部医療センターのICUで3時間にも及ぶ検査・手術を受けるに至り、急性心筋梗塞の激しい痛みから解放された次第です。
正直に申し上げれば、私はあの夜の痛みの中で、私の身を案じる配偶者が救急車を呼ぶことを拒み、死を覚悟し、遺言まで残しました。
『これで死んでもいい』と思っていたのです。
語弊がありますが、その根柢にあるのは、配偶者より、私の方が先に逝かねばならないという黙契があるからです。
配偶者の存在なしに、私は生きていけません。
日々、配偶者が私に対して行っている行為を代行し得る何ものもありません。
そんな心中で、深夜、先生が駆け付け、速やかに処置し、救急搬送の手続きを的確に行ってくださいました。
その後の経緯は先述した通りです。
当日を含め、ICUでの3日間、私は自分の身勝手な思いを痛烈に反省し、先生の献身的な行為に対して強い感謝の気持ちを抱懐し続けていました。
この気持ちが、配偶者の存在なしの10日間を支えてくれました。
同時に、私のリハビリのために、毎日、面会に来てくれた配偶者の存在の大きさを痛感させられた10日間でしたが、『歩行困難状態』への恐怖感が常に潜んでいるので、私にとって、筋トレだけに特化できる時間になりました。
先の『黙契』についての観念は変わりませんが、それでも、全ては、この10日間を支えてくれた先生への感謝の念は尽きません。本当にありがとうございました」
なおコロナの渦中にある東京都下で呼吸を繋ぐ現在、減塩食を余儀なくされた男の日常は、一変した食生活に完全に馴致し、味の強い食事に戻れなくなり、戻る気持ちも更々ない。
その分、配偶者の負担が増え、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
残り時間も限られている。
残り時間の中で何が可能か。
ここでまた、男は勘考する。
「生きている今、救われる」という、「平生業成」の思想を貫流する理念系の結晶点である。
現生に己が〈生〉を完成させねばならない。
男には、「余白」こそが生命線なのだ。
この「余白」に己が〈生〉を埋める。
己が〈生〉を埋める何かを創り出す。
それが男の表現的営為であるだろう。
それなしに考えられない男の表現的営為の基柱。
生きている今、救われる。
己が〈生〉を手ずから救い出す。
何のことはない。
せいぜい、幾許かの命なのだ。
(2020年11月)
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